魂の声と欲望の関係性
- なるせゆうや
- 2024年5月30日
- 読了時間: 5分
【魂の声と欲望の関係性】
前回のブログで
僕が魂の声に耳を澄まして、
その声に忠実に生きてきたことを話した。

ただ、その魂の声は
最初はおぼろげに聴こえてきて、
内側とよく会話をする度に
よりはっきりと魂からの声が
聴こえるようになってきた。
この魂の声を聴くことは、
わりと自然にできる人もいれば、
そうでない人もいる。
聴こえているつもりになって、
実は全然、魂の声じゃない人もいるし、
逆にちゃんと魂の声が
聴こえているのに、
自分自身でそれが魂の声だと
気付きてない人もいる。
この魂の声が
ちゃんと聴こえる様になるためには
どうしたらよいのだろうか?
今日はその話をする。
YouTubeの動画では
何度か話しているけど、
シンプルに抽象度が上がると
魂の声は聴こえやすくなる。
つまり、広くて高い視点を持つほど、
抽象度は上がっていき、
抽象度を上げるほど、
魂の声が聴こえる。
2017年ぐらいの動画で
確かよく話していたと思うけど、
僕らの内側から聴こえてくる
『望み』には2種類ある。
『欲の望み』と『ピュアの望み』
欲の望みは煩悩的で、
人の心を囚われさせるような望み。
性欲や、金欲や、食欲、物欲、
承認欲求、など、
欲求の階層性としては
わりと次元の低い欲求である。
逆にピュアの望みは
欲求の階層性としては
次元の高い欲求で、
成長欲求や貢献欲求、
自己実現欲求になる。
で、昔の動画では、
『欲の望み』ではなく、
『ピュアの望み』を選んでいきましょう。
という話をしていた。
数年前の動画では
ピュアの望みになる、
『貢献欲求』と『成長欲求』
をぶち抜くぐらい強くすると、
心が安定するよって話をした。
貢献欲求と成長欲求は
次元が高い欲求であるがゆえに、
それらをブーストしている人は、
ある程度の抽象度の高さを
保つことができる。
いつも、話しているように
抽象度が下がると、
目の前の事に囚われやすいので
迷ったり、悩んだり、
しやすくなるし、
視野が狭く、視点が低いがゆえに
解決策も見えづらく、
ずっと迷いの中に入ってしまう。
だから、心を安定させるためにも、
迷いの生き方から脱出するためにも、
僕は抽象度を上げることを
たくさん話してきた。
そして、抽象度を上げると
視点が高くなり、視野が広がるから、
解決策が見えたり、
自分の魂の望みが視えてきたりする。
この7年ぐらいで、
色んな話をしてきたけど、
表現の仕方をそれぞれ変えているだけで
本質的には同じことを話している。
ーーーーーーーーーー
『欲の望み』=
『金欲、性欲、承認欲求などの
次元の低い欲求』=
『抽象度が低い状態』=
『迷いの世界(道迷いの人)』=
『魂の声が聴こえない状態』
ーーーーーーーーーー
『ピュアの望み』=
『成長欲求、貢献欲求などの
次元の高い欲求』=
『抽象度が高い状態』=
『道が視えている世界(道視えてる系の人)』=
『魂の声が聴こえる状態』
ーーーーーーーーーー
まとめるとこんな感じになる。
YouTubeの動画からも分かるように
僕は煩悩に対して、
わりと辛めのコメントを良くする(笑)
もちろん、オールOKだから、
煩悩がある人も全然OKだと思っている。
どうあっても、
自分自身を肯定してあげることが
何よりも大切だからね。
ただ、構造上、
煩悩が強くなってくると、
必ず自分自身を見失ってしまう。
つまり、煩悩が強い人は
僕がよく言う『大切なモノ』が
視えなくなってしまう。
煩悩が強くなると、
ピュアの望みが視えなくなるし、
魂の声が聴こえなくなるから、
お釈迦さまが言う
『無明の世界』
に入ってしまう。
逆に煩悩が弱くなり、
魂の声が聴こえ、
ピュアの望みが視え、
あらゆる囚われから解放されてくると
『自分を完全に取り戻す』
事ができる。
ここ最近、僕がよく話している
『自分の、ど真ん中に戻る』
という状態になる。
シンプルに言えば、
ーーーーーーーーーー
煩悩が強くなると自分を見失い
煩悩が弱くなると自分を取り戻す
ーーーーーーーーーー
ということ。
だから、お釈迦さまも、
煩悩は否定していないけど、
『煩悩はほどほどにね。』
と言っていた。
数年前の動画で、
『悟りながら生きる』
と、言っていたのは
まさにコレのことである。
抽象度が上がり、
自分自身が煩悩に囚われることなく、
あらゆるモノから解放されてくると、
ちゃんと道が視えてくるし、
何にも惑わされず、
生きることができる。
この抽象度が上がっている状態を
維持しながら生きることを僕は
『悟りながら生きる』
と言う言葉で表現した。
もし、あなたが道に迷い、
大切なモノを見失っているのであれば
少し、静かな一人の時間を
たくさんとってみてはどうでしょうか?
欲望から離れて、
感情を揺さぶるモノから離れて、
少し、世俗と距離を置いてみる。
別に欲望を捨てなくても良いから、
しばらくの間、
そーゆーモノから離れて過ごすのです。
シンプルに過ごす。
静かな一人の時間を過ごす。
そうすると心は洗われ、
心の静寂を取り戻し、
ちゃんと大切なモノを思い出せる。
大切なモノが視えてくる。
魂の声が聴こえてくるでしょう。
僕が、欲望や心を揺さぶるモノと
上手に距離をとり、
世俗と上手に距離をとり生きるのは
ひとえに、この理由からです。
上手に世俗と距離をとることで、
抽象度の高さを維持し、
いつも自分を見失わずに生きていけます。
悟りながら、
生きていくことができます。
仏教では、
『悟りに向かって修行する人』のことを
『菩薩』と呼びます。
欲望や煩悩と
ほどよく距離をとり、
抽象度を上げていこうと
思っているあなたは
もうすでに『菩薩』です。
必ず、自分の道を見つけ、
自分を見失わずに生きていくことが
できるでしょう。
大切なモノを
見失わないように。
ありがとう。
なるせ
『愛されたいをぶち抜け!』
➡https://youtu.be/bOyq4OMofng
コメント