あなたの人生が変わる瞬間とは?
- なるせゆうや
- 2023年3月13日
- 読了時間: 4分
【あなたの人生が変わる瞬間とは?】
大学生の頃、
僕は、とある街の開発を見てきた。
もともと、山とか、
田んぼしかないような、
広くて、静かな自然の風景。
朝には、小鳥のさえずりが心地良く、
農作業をする、おじいちゃんが
ゆっくり歩いている。

そんな、ど田舎の土地に
新しい線路が通り、
街が造られていった。
タワーマンションが出来たり、
閑静な住宅が出来たり、
舗装された広くて真っ直ぐな
道路ができたり、
何もない田んぼや野原が
そうやって年々、開発されて行く。
そのプロセスを僕は見ていた。
その新しい街ができ、
その街を眺めていると、
ふと、気付いたことがあった。
『この街、すごくキレイ!!』
新しい街なのだから、
当たり前だった(笑)
誰がどう見ても、
分かることだった(笑)
しかし、僕が感じた
『この街キレイ!』
という感覚は
新しいがゆえにキレイというのとは
少し違った。
そこで僕は考えた。
『僕は何を持って、
きれいと思ったのだろうか?』
『どんなところに対して、
きれいと思ったのだろうか?』
そんなことを考えたら
ポコポコ、気付きが出てきた。
『道が広くて、まっすぐで、
見晴らしが良いところがキレイ』
『街の区画が整理されてて
すごく整った街に感じることがキレイ』
『電線や電柱がなくて、
景観がスッキリしててキレイ』
『街の色んな建物や家の雰囲気に
統一感があってキレイ』
そんな自分なりの感想があった。
それはただ単に
新しい街だから
キレイというのではなく、
街を何もない田舎の土地に
ゼロから造り出すことで
生み出された美しさだった。
本当に何もない土地に
ゼロから街を造ることができれば、
道路の広さもたっぷり確保できる。
区画もキレイに整理できる。
街のテーマや雰囲気を決めて、
その全体の雰囲気に合わせて
個々の住宅や建物を建設できる。
僕がその街に感じた
美しさと整合性は、
ゼロから街を創造することで
街全体として統一感のある
街づくりをしているがゆえの
美しさだった。
もともと、街があるところに
新しい街を創ろうとしても、
全体としてチグハグになりやすい。
家のリフォームとかも一緒で
古い家を部分的にリフォームしたり、
リノベーションしたりして、
ちょこちょこ修正したりするより、
全く何もない場所に、
1から新しい家を建てた方が、
その家は全体として整合性がとれる。
今ある状態を
なんとか修正して、修正して、
そうやって進んでも、
チグハグで、
つぎはぎのパッチワークのように
歪で、不整合な状態になってしまう。
でも、一度ゼロにして、
ゼロから創り直せば、
非常に整合的なモノになる。
今、街の話や家の話でしたけど
コレはやっぱり
僕らの人生にも当てはまる。
現状を維持したまま、
どうにか修正して、修正して、
そうやって進んでも、
大きく人生を
ドラスティックに変えることは出来ない。
そういう進み方をする場合、
自分自身もそんなに変われないし、
人生もそんなに変われない。
あくまで、過去の自分に
少し修正を加えただけの自分になる。
過去の人生に
少し修正を加えただけの人生になる。
根本的には
何も変わってないことになる。
でも、そんな
パッチワークな生き方をやめて
一度すべてをゼロにして、
ゼロから人生を創り直せば、
まったく違う人生を
僕らは送ることができる。
まったく新しい人生を
僕らは始めることができる。
ゼロになるから、
劇的に人生を変えていくことができる。
それは前回のブログでも
話したように
一度、今の自分や
今の人生を手放すがゆえに
ダイナミックに新しい人生を
迎え入れることができるのだ。
だから、
手放すことを恐れないで欲しい。
だから、
ゼロになることを恐れないで欲しい。
僕らはゼロになれば、
まったく新しい人生を
1から創り直すことができる。
僕らはゼロになれば、
まったく新しい自分を
1からスタートさせることができる。
手放すモノが少なければ
変化も小さい。
しかし、手放すモノが多ければ
変化も大きい。
そして、すべてを手放した人は、
人生のすべてが変わる。
自分のすべてが変わる。
ゼロになることは
終わりではない。
ゼロになることは
まったく新しい人生の始まりになる。
僕らはまったく次元の違う
素晴らしい人生を歩むことができる。
だから、心配しなくてもいい。
安心してもらっていい。
手放すことも、
ゼロになるも、
終わりではない。
手放すことも、
ゼロになることも、
僕らの人生の第2章の
始まりのプロローグに過ぎない。
新しい人生が今、
始まろうとしている。
【ゼロの覚悟、失う覚悟をすると
人生は最強になる説】
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