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SNSと劣等感

  • 執筆者の写真: なるせゆうや
    なるせゆうや
  • 2020年5月29日
  • 読了時間: 5分

【SNSと劣等感】


昔、フェイスブックやら


インスタをやっている時に


すごく感じたことがある。










投稿して、


人に見てもらいたい気持ちの中に、





ある種の『優越感』が


入り混じっている気がした。





もちろん、投稿する人にもよるから


いちがいにすべての人が


そういうわけではないけど





投稿して


誰かに見てもらいたい気持ちの中に




・幸せをアピールしたい気持ち


・自慢したい気持ち


・見てもらうことで

本人の優越感を満たそうとする気持ち






なんか、そういう思いがあることを


色んな人の投稿から感じた。






同時に、そういう投稿を見ることで


何かを羨ましがったり


今の自分に劣等感を抱いたり


そういう人もいた。







誰かが、投稿を見てもらいたい、


優越感に浸ることは




対局にいる誰かは


それに劣等感を感じて落ち込む。






過度な幸せアピールが


誰かを惨めな気持ちにさせて、





過度な自慢が


誰かをダメな気分にさせて





優越感に浸ることが


誰かの劣等感を刺激して







誰かを羨ましがらせて


もっと、もっとを


求めさせて、





なんとなく、


変なことをしている空間だなぁ


って思った。







事実、そのSNSの中にいると


アピールしたい気持ちや


承認欲求は強くなって




自分の中に


優越感も劣等感も


日増しに強くなっていった。






自分が劣っていると


感じることも苦しければ




誰かに承認してもらおうと


承認欲求を強くして


渇望することも苦しかった。





それはまるで


埋まらない心の空白に


愛を渇望するようなものだった。







その空間にいるほどに


羨ましくなることも


見てほしい気持ちも増えて


苦しいものだった。






でもSNSの空間には


その『羨ましい』と『見てもらいたい』


という気持ちが


ひたすらに渦巻いていて





その終わらない渇望のサイクルに


どっぷりハマっている人たちが


埋まりきらない何かを求めて




ひたすらに羨んで


見せびらかせて


を繰り返し、





なんとも言えない


不思議な空間だった。






優越感も劣等感も


自慢も卑屈も




誰かが優れていることを


誇示してしまえば




誰かが劣っていることを


痛感してしまう。






それはイジメみたいなもので


強者がいることが弱者をうみ、



強い心を持つことが


弱い心を持つ人をうみ、




優れた人が


劣っている人をうみ、




勝者を生むことは


敗者を生み出してしまう。





それは光を生み出すことが


同時に闇を作ってしまう事と


同じようなものだと言える。








僕らはより良くなろうと


必死に頑張るけど




誰かが優れた人になることで


誰かが劣っていることを


痛感してしまう。







一歩間違えれば、


この投稿だって、


そうなりかねないし、




そういう優越感を満たすように


YouTubeを投稿する人もいる。





正直にいえば


過去の僕もそうだったと思う。


恥ずかしながら。






僕がもし、


承認欲求の渇望から


動画を投稿するならば



見てくれる人にも、


同じような承認欲求の渇望を


抱かせてしまう。





そのスパイラルにハマれば


自分も見る人も苦しくなってしまう。






弱者であった人が


強者に変わったとしても




本質的にイジメられる側から


イジメる側に変わっただけで




『イジメ』という現象が


本質的には消えないように





劣等感からより良くなろうとして


成長したり、素敵になっても、


その優越感は


誰かの劣等感を刺激してしまう。





見せつけられる側から


見せつける側に変わっただけで




劣等感から


優越感に変わっただけで





本質的にイジメが消えない事と


同じ現象が生まれてしまう。








今、世界は


インターネット空間で


たくさんの人と繋がれるようになった。





それはとても便利で


とてもありがたくて



物理的な距離を感じさせないぐらい


僕らの心の距離を近くする。





でも、使い方を間違えれば


それは劣等感と優越感の


スパイラルを生み出して


渇望が終わらなくなる。





そんな状態が今、SNSの中にある。





昔、誰かがこんなことを言っていた。





フェイスブックに関しても


インスタに関しても




そもそも、自分の何かを


他人に見せたいとも思わないし




そもそも他人ことも興味がなく


見たいとも思っていない。




嬉しいことも、


幸せなことも、



自分という世界で


自己完結してしまうから



誰かに見てほしいとか、


他人が気になるとか、


そーゆーのもまったくないから




SNSの意味が分からない


って言っていた。






僕はもっともだと思い


笑ってしまった(笑)






僕自身が、承認欲求や


見てもらいたい気持ちがあって



フェイスブックに投稿を始め、


フェイスブックをハマるほどに



ドンドン承認欲求や


見てもらいたい気持ちを


強くしてしまった経験があり、




その満たされない


苦しみのスパイラルから




脱却するために


SNSを止めたら




とても心が軽く、


優越感も劣等感もない、


自由な心になれた。






YouTubeもはじめは


やっていて辛いところがあったけど





誰かに見てもらいたいとか


承認欲求してもらいたいとか


理解してもらいたいとか


人を集めたいとか


そういう気持ちをすべて捨てて





ただ純粋に


僕の知っていることで


僕の気付いていることで


誰かに喜んでもらえたら


嬉しいなぁって気持ちにシフトしてから




YouTubeもブログも


とても楽になった。








今この世界は


優越感と劣等感の


スパイラルに取り憑かれて、





自慢する側と


落ち込む側に分かれて


変なダンスを踊っているようだ。





イジメる側と


イジメられる側に分かれて


変なダンスを踊っているようだ。





優越感に浸る側と


劣等感に苛まれる側に分かれて


変なダンスを踊っているようだ。





そんな変な空間から抜け出して


ぜ〜〜〜〜〜んぶ、やめちゃえば


とてつもなく心は軽くなる。




ぜ〜〜〜〜〜〜んぶ、手放しちゃえば


ぜ〜〜〜〜〜〜んぶ、捨てちゃえば


その変なダンスから


抜け出すことができる。





勝っても、負けても


苦しみは続くのなら




イジメても、イジメられても


苦しみは続くのなら




優れても、劣っても


苦しみは続くのなら




もう、そんな世界をすべて手放して


そのゴチャゴチャした世界から


飛び出しても良いかもね。






きっと、すっごく心が軽くて


風のように生きられるよ☺️🌸






今日も、ありがとう☺️🌸


いつも、本当に、ありがとう☺️🌸

 
 
 

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